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悩みを待つ

悩みを待つ、というのは変な言い方かもしれません。

悩んでいる人は、ある意味、悩んでいる状態を待てないから、苦しんでるといえます。そういう人に待てといっても難しい話ですね。

 

でもですね、悩んでいても平気だったら、苦しみは出てこないんですよ。

悩んでることと、苦しむことは別なんですよね。簡単に解決できないことは、そもそも悩みはすぐには消えません。つまり、悩んだままでいられたら、苦しまずに課題に取り組み続けられるわけです。

 

悩んでるままでいられるということは、どういうことでしょうか。それは、悩んでいる自分を肯定できることです。

それには、悩んでいること自体を深く知ることも大事ながら、悩み自体をね、好きになることなんですよね。

 

それでは、皆さま、良いお年を。

このまま新年もぼちぼちと悩みについて書いていきます。

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悩みは消えるもの

悩みは消えていく、というと、信じられない人もいるかもしれません。

ずっと悩み続けていて、消えることなど考えられないと。

 

こういう風に言った方がいいかもしれません。

 

自分が小川の真ん中に立っているとします。小川は人生とします。

小川は流れていて、向こうの方からいろんなものが流れてきます。そこには喜びや驚きや悲しみが流れてきては去っていきます。

その中には悩みも流れてきます。正確にいえば、悩みを生み出すような出来事が流れてきます。

 

私はその出来事をつかんでいることで悩んでいるのです。

ということは、その出来事から手を離し、後は川の流れに任せて流してしまうことで悩まなくなるのです。

 

これはみんな日常的にやっています。

例えば、気分転換ですね。

今の気分とは違うこと、リラックスできることや集中できることをやって、発散させる。

これは、川の例えでいうと、違うものをつかむことで、元の出来事を手放すことですね。

でも、気分転換しても、気持ちが晴れないことがあります。それは、まだ悩みを起こす出来事を手放しきれていないことになりますね。

 

では手放すためにはどうするか。

これは、前に書いた「ほっておく」ということになります。川は流れているわけですから、どんなものも流れていきます。それを流すに任せる、放っておくことが有効になります。

 

つまり、待つということですね。

悩みたかった私

悩んでいたいとはどういうことでしょう。誰も悩みなんて持っていたくないのが、当たり前だと普通は考えると思います。

 

しかし、悩みを紙くずのようにポーンと投げることができない自分がいるということは、悩みを強く掴んでいる自分がいるというということです。

悩みを自分から離れないように大切なものとして置いている気持ちがあるのです。

 

悩みというのは、苦しさもありますが、自分に課題を与えてくれます。悩みを解決しろという課題を。

悩んでいれば、課題に常に向き合っているだけでいいので、ある意味ラクです。

 

悩みは悩んでいる自分に存在価値を与えてくれます。多少、大げさにいえば、生きている理由を与えてくれているときもあります。

そんな悩みを無意識に解決したくないと思っている場合もあります。

亭主関白は、他の家族が頼りない、自分がいなければダメだと思っているからこそ、自分の存在価値に安住することができます。その逆で、自分がダメなことを意識し続けていれば、自分の現状や境遇に満足しなくても、納得することができます。

 

悩みというのは、自分を縛り付ける力があります。それをまずは知って、そこから解放される必要があるでしょう。そのために、悩みの重大さを紙くずみたいに軽くして遠ざけてみるのです。

 

そして、悩みを放っておく。悩みに縛られず、そこから出ていっても大丈夫な自分をみいだすのです。

 

そして、それがうまくいけば、悩みの次の不思議な面が顔をのぞかせます。

悩みは消えます。跡形もなく、すっと。

悩みを放っておく

悩みを放っておくとはどういうことでしょうか?

 

悩まないように我慢することでもありませんし、平気でいようとすることでもありません。
また、悩みを気にしないようにしておくことでもないです。

 

イメージでいえば、悩みが何か固まりのようなものであるとしたら、そこから2〜3メートル離れたところに立ちます。
そして、何となく眺めているような感じですね。意識してはないけど、無視してもない。付かず離れずの感じです。

 

これは、深刻な悩みや苦しい悩みだと、最初はなかなか難しいかもしれません。嫌でも意識してしまうので放っておくことなんてできないと。

 

そんなときは、その悩みの重さを軽くしてあげましょう。これも、イメージなのですが、その悩みを紙くずのような軽い感じにして、それを少し遠くにポーンと投げてみるのです。

 

私もそうだったのですが、悩みを紙くずのように投げるというのは、ちょっと抵抗がありました。そんな軽いもんじゃないよ!とい浮かぶ気持ちがあるからです。ここに自分の悩みに対しての重い執着があるのです。

 

とにかく、無理矢理でもいいので、悩みを紙くずのようにポーンと投げてしまいましょう。
そうすると、悩んでたときとはまた別の体感があるはずです。

 

それは、まずは自分は悩みに悩んでいたかったんだ!ということです。

オレ何で悩んでんだろ?

自分がダメだと感じなければ、解決しなくてもよくなるはず。

これは、僕にとっては、ちょっとしたコロンブスの卵でした。


問題が解決するのが難しいときは、その問題によって苦しむ自分自身を変えてしまえばいい。
それなら、問題に取り組む必要もなくなります。

 

とはいえ、言うは易し、ですね。では、どうしたらいいのでしょうか。

 

まず、単純なのは、何でオレ悩んでんだろ?って少し考えてみることですね。
最初はすぐ、答えは浮かぶと思うんです。そこから、それ何で悩んでんだろなとまた考える。次がでたら、また次を考える。

 

するとね、まず、自分に関して段々と理解が深まります。
え、オレこんなこと思ってたのね、とか、意外な気持ちに出会ったりね。
そういうことも広く言えば、後々役に立ってくるんです。

 

でも、ある程度までいったとき、ちょっともう考えられないなってとこに当たります。
そうしたらですね、次はそれをそのままほっとくんです。

自分はダメだ、から逃げる

悩むことは、なぜ起こるのでしょう?

 

それは、何か問題を解決したいからですが、悩んでいる自分にとっては何かと考えてみると、こうも言えますよね。

 

問題を解決できないままでいるのは嫌だ

 

解決できないままでいることは、いろんな気持ちを生み出します。
残念な思い、気持ち悪い感覚、情けなさや惨めさもあります。
そんなところから早いとこ出て行きたいという気持ちが強く出ますよね。
つまり、自分はダメだと思いたくないわけです。

 

解決したいというのは、ダメだと思いたくないという強い気持ちがあるわけです。
ということは、こうも言えますよね。

 

自分がダメだと感じなければ、何も解決しなくてもよくなるはずだ(!)

自分の常識を疑う

私はそういう自分の常識に気づいていったことで、本当に驚いたことがあります。

それは、みんな自分がまともだと思っていることです。

 

これはみんな本当はダメなんだとか、直さないといけないことがあるんだとか言いたいわけではないんです。
人がまともだろうが、そうでなかろうが本当はどっちでもいいと私は思います。

ただ、自分のことを大体、普通だろうと思うと、その意識で周りを見ようとするので、大抵、自分の常識に合わないものに出くわします。

あいつは頭がおかしいとか、あんなことが普通に起こるのはおかしいとか、腹が立ったり、悲しくなったりはしませんか?
まず、そこで思い立ってほしいのは、そのおかしいと感じているあなたの普通は、本当に普通なのか?ということです。

 

普通に決まっているだろう、という声が返ってきそうですね。
私の経験からはっきり言えることは、
そうに決まっているって強く感じるほど、そこに重い感情の塊を感じるほど、
それが本当は間違っていて、自分を強く縛っていることです。

 

その縛りの中で、私たちは自分はおかしくない!と外に向かって声が枯れるほど叫び続けている状態。
それが、悩みの一つの常態化と言えるでしょう。

常に悩んでいたり、腹が立っている人は、自分の中の常識だと思っていることが多すぎることが多いです。
そこには何があるでしょうか?

 

それは、ダメから逃げる気持ちです。